第一章  ミート・ザ・ストレンジャー



 あれから少し日がたち、今は五月のゴールデンウィーク真っ只中。
 世間は大型の連休を楽しむ者にあふれる、まさに黄金週間である。
 だが、そんな中、春見は家におり、すこぶる機嫌が悪かった。
 それは、なぜか。特にどこにもでかける予定がないからではない。
 今は午後八時。原因は、春見の隣にいる人物――海堂にあった。

「なんであんたがここにいんの。うざいわ。むさいわ。帰って」
 今日何回言ったかわからない台詞を、春見は海堂に言う。
 だんだん事務的な口調になっていて、もう下手な役者の台詞のようである。
 そんな台詞に海堂がへこたれるはずもなく、彼はこう返す。
「大丈夫だよ。春見一人暮らしだし、部屋広いし。どうぞおかまいなく」
 こうも態度を切り替えられると、すがすがしいと言えば聞こえは良いが、すがすがしすぎてムカムカしてくるというのが、今の春見の心境だった。
 あれから、開き直った海堂はとんでもない奴だった。

 学校では、休み時間ごとに春見の所に来て、放課後は放課後で、春見がいるいない、許した許さないに関わらず、普通に春見の住むアパートにいるのだ。
 しかも、ゴールデンウィークの今は、泊まり込み決行中である。つまり、二人っきりと言える。
 だが、そこら辺は海堂もわきまえているらしく、何事もなく今に至る。
 というか、春見がなんとなく海堂にきつく対応できないのも、理由の一つと言えるが。
 そして、彼女は、もはやどうしようもないことに気付き、あきらめの境地である。
 だから、この台詞も形式的なものとなるのだ。

「ところで、あんたはなんか用とかないの?」
 テレビも退屈、本を読むにも退屈なので、春見は海堂に話し掛けることにした。
「俺? 俺は別にないよ。だいたい目的はあるし」
 言われてみればそうだ。自分の馬鹿さ加減に、春見はなんだか疲れを覚えた。
「あたし、先に寝ます。あんたも早く寝なさいよ。おやすみ」
 春見はそう言うと、テーブルの側から立ち上がった。
 その春見に、海堂は言う。

「嬉しいな。心配してくれてるんだ」
 海堂の軽い調子のこの言葉に、春見は一瞬膝の力が抜け、転びそうになるが、なんとか踏み止まり、こう言い返した。
「自分が寝ている時に、誰かに部屋にいられるのって落ち着かないのよ。だいたいここには……」
 春見はここで言葉を止める。
 春見の様子の変化に気付いた海堂は、すぐに声を掛ける。

「ここには?」
 可能性は塵一つ見逃さない。そういう姿勢が見て取れる。目の雰囲気まで違っている。

――しまった。

 春見は心の中で舌打ちをした。
 さてどう言い訳しようか。それとも――?
 春見は、自分が何をしたいのかわからなくなった。

――なぜ、海堂の邪魔をする必要がある?
――その夏実という人物じゃないなら、それはそれで前の生活に戻るだけ。
――夏実という人物なのというなら、その時に戻る。
――どちらにしろ帰る。自分の場所へ。
――では、何が引っ掛かっている?

「春見?」
 春見が空を見たままなので、海堂は春見に声をかけた。
 春見はハッと気付き、海堂を見る。

 わからなかった。
 春見には、自分が何をしたいのかわからなかった。

――けれど、したいようにすれば、後悔だけはないと思うから。
 春見はそうして今まで生きてきた。
「ゴメン。ボーッっとしてた。……あのさ、あたし、あんたに話してないことがあるの」
 春見は、今のところは、他に二人しか知らない秘密を話すことにした。




「これが、なんでだか知らないけど、あたしの側に居てくれてるレイっていう……霊なの?」
 春見は、隣に立っている、少し体が透けている、髪の持つべき色を失ったような色の、腰まで流している長い髪の青年に、最後は問い掛けていた。
 レイという名の青年は、どこを見ているでもない遠い視線を春見に向け、静かな、低い声で答えを返した。
「まぁ、そのようなものだ」
「じゃあ、あなたなら春見の昔を知っているんじゃないですか?」
 海堂がレイに聞く。一応丁寧語を使っているようだが、あまり尊敬の念は見えない。ただの道具としての言葉のようである。
「残念だが、私は教えられない。他の方法を探してくれ。すまないな、海堂ケイ」
 レイの口調は、あまりすまなさそうに聞こえない。
 レイの飾らない言葉はいつものことだが、今回は違うように春見は感じた。
 親しげな、でも嫌悪しているような――。
「レイは海堂を知っているの?」
 春見は感じた疑問を口に乗せる。
 その言葉に、レイは一瞬感情が揺れたように見えた。
 だが、ここで口を挟んだのは、意外にも海堂だった。
「俺は少なくとも知らないな。ま、とりあえず今は、別にそんなこと気にしなくていいんじゃないかな。……さて、俺は寝るよ。おやすみ」
 そう言うと海堂は、側にあった毛布を自分の上にかけ、そのまま横になった。
 なんとなくはぐらかされたような気がするが、海堂がそうした方が良いと判断したのだから、あまり気にしないことにしよう。
 春見も、自分の部屋に入り、寝ることにした。
 レイは、居間であぐらをかき、そこにじっとしていた。



 春見は居間にいた。
 目の前には海堂がいる。
 二人は向かい合って座っていた。
「春見、悪いけど、俺もう我慢できない」
「え、ちょ……」
 海堂の顔が、どんどん春見に近付いていく。
 唇に息がかかる。
 触れ合いそうになった、時。



「!」
 春見は、ベッドからガバリと起き上がり、辺りをキョロキョロ見回した。
 海堂は、ベッドの向かい側のソファで寝ていた。

「……夢……か」
 春見は、ただ言葉を小さく口から出した。そして、再び眠ろうと、ベッドへ身を沈めた。

「……………眠れない」
 春見は、今度はゆっくり起き上がる。
 ベッドから出、春見は冷蔵庫のある台所へ向かった。
 春の陽気は、暖かいを通り越して、たまに夏のような暑さを体にもたらす。
 春見は、冷たい飲み物を飲めば、楽になるのではないかと思ったのだ。
 ふと海堂が気になった春見は、その顔をのぞきこんだ。
 すると、海堂は目をパッチリと開け、春見の手を掴み、自分に引き寄せ、春見の肩を押し、床に倒れる格好になった。

――なってしまった。

「あ……」
 春見は言葉がだせない。体を動かすこともできない。
 春見の胸は、何かわからない色々な思いで一杯だった。
「春見、悪いけど、俺も男なんだ」
 海堂はそう言うと、春見の唇に、自分の唇を重ねようとする。



「っ!」
 春見はまたもベッドから起き上がった。
 まず自分の周りの物を触り、自分の体を触った。
 そして、視線を自分の周りへと動かすと――。
 海堂が窓際に座って、外をぼんやり見ていた。
 春見は夢と現実に少々混乱してしまい、そこを動けずにいた。
 すると、海堂が春見が起きていることに気づいた。

「あれ、春見……起こしちゃった?」
 春見はそれで我にかえり、激しく首を振った。少し目が回るぐらいに。
「え、あ、いや、ちょっと目が覚めちゃっただけよ。なんか暑くて……冷たいものでも飲もうかな〜……」
 春見は、気まずさをごまかすために、冷蔵庫に向かった。
 そこからミネラルウォーターを取り、キャップを開けて飲んだ。
 その間、海堂は、春見をじっと見ていた。

「ねぇ、春見ってさぁ……」
 海堂がそう口を開いたので、春見は飲むのをやめ、水を口に含んだまま、返事をする。
「ん?」
 そして、口の中の水を飲もうとした時――。

「キレイだよね」

 ング!

 春見は変な風に水を飲み込んでしまい、激しく咳き込んだ。のどがツーンと痛くなった。
「な、何を、あ、あんたは、いきなり、言い出すの」
 春見は、動揺と喉の痛みでうまく言葉をだせないでいる。
 だが、海堂は、実に冷静に言ってくれた。
「俺は、春見は夏実だと思ってるんだ。なんか、そんな気がしてならないんだ。今までそれらしい人に会ってきたけど、こんなにビシッとくる人なんていなかった」


 海堂が、じっと春見を見つめる。
「……あんたがそう思うなら、そうなのかもね」
 春見は、軽い調子でそう言った。
「エ……」
 海堂は驚いて、春見をさっきとは違う意味で見つめる。
「だって、あたしは記憶がないからわかんないから、なんとも言いようがないもの。あんたが思うことを否定する権利もないし。ただ、あたしははっきりしないのが嫌だから、あんたに協力してあげてるのよ。……それに……」
 春見は冷蔵庫のドアを閉めて、海堂に微笑む。

「あたし、あんたが思ってるほど、あんたのこと嫌いじゃないわよ」
 春見の言葉を受け、海堂も微笑み返した。




RAN  ***2005/2/1***



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